ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

なぜ日本人は海外に戦いに行かないのか

先日書いた「なぜ海外で日本人が戦ってはいけないのか」に、やはり定形通りのレスポンスを頂いた。

「なぜ日本人が戦いに行かなければならないのか」

先の記事に書いた内容からそれを理解できないとは、いかに考えることができなくなっているのか。

そして質問したいのは、「なぜ日本人は戦いに行かなくても良いのか」。

先の記事を読んで同じように思った方は是非とも考えて欲しい。

 

 

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そう聞き返すとコレまた定形のように「質問を質問で返すな」とのこと。

なぜ「質問を質問で返してはいけないのか」と質問しても要領を得ない。先の通り、自分で考えることができなくなっているからこそ、この自衛隊海外派兵問題にしろ、原発問題にしろ、なんでも人に聞きかじったことをそのまま伝えるオウム返ししかできなくなっているのだろう。

この流れの概要を以下に書く。

「なぜ日本人が戦いに行かなければならないのか」

 

「なぜ日本人が戦いに行かなければならないのか」と聞くからには、あなたには「日本人は海外に戦いに行かなくてもいい」という考えがあるからですよね。

「はい」

 

ではなぜ「海外に戦いに行かなくてもいい」と思っているのかを教えてください。

「質問を質問で返さないで。答えて。」

 

なぜ質問を質問で返してはいけないのでしょう。質問に答えるには、その質問者のその質問の意図を知らなければ期待通りの解答は出来ない。「戦いに行ってはいけない」と言う考えがあなたには有るのでしょう。であれば、その考えを知らなければその間違いを指摘する答えが出ない。「なぜ戦いに行く必要があるのか」を説明するには、「なぜ戦いに行かなくてもいいか」に反論する必要が有る。なのでその「戦いに行かなくていい理由」を知らなければならない。

「なぜ進んで戦いに行かなければならないのか。人が死ぬこと、殺すことを歓迎しているのか。」

 

それは先の記事にも書いている通り、自衛隊の出動は「戦争を起こしに行く」ではなく、日本を守るため、日本人を守るために「戦争を止めに行く」、又は「戦争が起こらないようにしに行く」ことであり、それを止めに行かないことでそれ以上の被害が日本に、それを含んだ世界に波及しないようにすることである。

例えばテロ行為が起きているとして、それを止めなければテロ実行者が辞めるまでテロ(殺戮)は続くことになる。それを止めることが必要なのはわかるでしょう。日本に警察が存在してるのも、犯罪者を取り締まるためであり、それを取り締まることにあなたは反対していないでしょう。

それと同じように、国内に及んだ犯罪(戦争行為)を止める為に自衛隊は存在しているだけではなく、国内に及ぶ恐れが有る犯罪を止めるためにも自衛隊は派兵されなければならない。例えば警察も、犯罪が起きてから動くのではなく、犯罪が行われようとしていればそれを止めることができる。

例えば銃刀法があるのも、その危険を未然に防ぐことが目的であり、そのように世界的な犯罪も未然に防ぐ必要が有る。そのための組織として自衛隊は必要になる。

「なぜ日本人がそれを止める必要があるのか」

 

先から書いている通り、それを止めなければ日本人が被害を受ける。だからこそ日本人が行く必要が有る。例えば外国に金を払っていれば、その国の人間が日本人の代わりに戦争に行かなければならないのか。「人が死ぬこと、殺すことを歓迎しているのか」と言っておきながら、自国の人間が死なず、人を殺さなければそれで良いのか。それこそ軍国主義に近い、「金を払ってるんだから俺達の兵隊として死にに行って来い」、「俺達のために死ね」と言っているようなものではないか。

このような、お金の無い国に対して金の有る国が金でほっぺを叩いて死にに、殺しに行かせるような行為をするのが奨励される国なのか。であれば、この国は本当に平和を目指しているのではなく、自国が平和に成り得るよう他国を侵略しようとしている国であろう。

自衛隊とはそもそも「自国の平和と独立を守り、国の安全を保つ」ための組織であるはずだ。であれば、自国の平和のために、独立を守るために、国の安全を守るために派兵されるべきというのは明らかではないか。

現在でも自衛隊ソマリア沖などの海賊対処に派兵されている。これも戦闘行為に成り得る。だがコレは平和目的であることは明らかだし、反対意見も聞いたことがない。

死ぬこと、殺すことを歓迎しないことはもちろんわかる。だが、それを行っている人間を止めることは権利として存在するだろう。それを放っておいては殺人者の思いのままの世界になる。そして自分も殺される。

そもそもに「死ぬこと、殺すこと」を自衛隊の活動として認めないのであれば、それは国内、日本領域上に他国が攻め込んできた時も認めるべきでないことだろう。なのになぜ、自衛隊の存在には反対せず、海外に派兵することのみを焦点に反対するのか。

そして同じようにそれは警察にも認めるべきことではない。戦争の目的は相手を殺すことではなく、主には支配することに有る。警察も犯罪者を捕まえ収監するということは、それは行動を支配することを意味する。自衛隊も戦争で相手を殺しに行くのではなく、相手の行為を止めることが目的だ。副作用として、死に、殺すことにもなる。これは殉職した警察官と同じことだ。

 

このような話をしたらそれ以後の返事が無くなった。

このようなコメントが来ることは記事を書いた時点で理解していたし、記事を書いた時点で返答が来てからこの記事の内容を書こうとも考えていた。

そしてこの記事をやはり書くことになって理解できたのは、世間の人間はやはり何も考えていない。何も知らない。知らないがゆえに、誰かの意見を聞いた時にそれを鵜呑みにし、それを確認もしない。そしてその他人の意見をいかにも自分の意見のように言いふらす。

意見がないので言い返されても返事が出来ない。

 

本当にもう少し考えてから物事を発言して欲しい。