ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

「仕事」の考え方

前の記事で「社会が生産性とか効率を望んでいなかった話」を書いたが、本来書きたかったのはそんなことではない。

世間の「仕事」と言うモノへの認識がどんどん下がってきているのではないかと思う話。

前に「「普通」は共通認識じゃないぞ」と言う記事を書いたがこれもそのとおりで、ここには私が感じていることを書くが、読む人全てで認識が異なるかと思う。

なぜ仕事するの? (角川文庫)

なぜ仕事するの? (角川文庫)


私は現在無職だ。無職であるのにこんなことを言うのもおかしいかと思うが、どんどん「仕事」と言うモノへの認識が低くなってきているのかと感じている。

まず考えて欲しい。あなたはなぜ働くのか。

「お金のため」、「生活のため」、「趣味」等、十人十色、多種多様な回答があるかと思う。だがその中で、「世界のため」や「日本の為」、「子孫のため」と答える人たちはどれほどいるだろうか?

前者の回答は全て自分個人のためになる。後者は自分以外を含めた関連者全ての為のモノだ。大多数の人々は前者かと思う。私が聞いてきた中で後者を答えた人は今までにいない。


現在社会では「ブラック企業」や「雇用環境」、「労働者の権利」等、色々な面で「労働者」と言われる人たちが声高らかに権利を叫んでいる。もちろん、法律に違反することがあれば取り締まるべきであるし、労働力や労働効率が上がるのであれば労働環境も改善すべきである。「過労死」などは明らかに行き過ぎた労働であると認識している。

だがしかし、それらの権利を叫べば叫ぶほどに日本という国が衰退していくことを考えているのだろうか?


まずはGDPで考えて欲しい。誤りがあれば指摘して欲しい。

つい数年前まで日本は世界第二位の経済大国と言われていたが現在は中国に圧倒的な差を持って抜かれてしまっている。2012年のGDPでは日本は世界第三位であるが、日本のGDPは5年前から変わっておらず、10年前に比べても伸びは希薄になる。さらに1990年頃からもほとんど伸びていない状態になる。名目GDPは1992年よりも下回っている。

GDP上位10カ国を見てもこのような国はない。経済成長をしているが故に上位国を維持できるのであるが、日本は1990年までにGDPを上げてくださった労働者の方々のおかげで、それを維持するだけでまだ上位国に踏みとどまっていることが出来ている。惰性だけで経済大国と叫んでいるのだ。

1990年は現在から23年前になる。それ以後にコンピュータやインターネット等いろいろな産業が生まれてきたが、実質GDPも名目GDPも上がっていないことを再認識すべきである。そしてこのようなGDPの変化がなぜ起こったのかも考えて欲しい。


まず、30年ほど前までの日本のことを考えて欲しい。日本人がこれほどまでに「労働環境」に不満を言っていたのであろうか?日本は敗戦後、何もなくなってしまった国を再建するためにがむしゃらに働きまくった。働いて働いて稼ぐしか無かった。主に1954年から1973年までを「日本の高度経済成長期」と呼ぶが、まさにその働きまくっていた期間に当てはまる。そして、その世代の子どもたちが社会に出始めたのが1990年より少し前くらいからになる。

働きまくっていた世代は、「貧乏な日本」を経験しているため、働いて自分が金を稼ぎ、さらには日本が金を稼ぎ豊かになることを望んで働いてきた。だが、現在の世代は違う。生まれてから金がないことを経験していないが故に、「働かなくても生きていける」と言う事を経験しているのだ。
働いたとしてもファーストフード店やコンビニ、スーパーでバイトをするだけで一人暮らしで生活が出来るほどには稼ぐことが出来る。決してそれらが「楽な仕事」とは言わないが、努力しなくても、苦労しなくてもそれだけ働けば生きていけるのだ。

だからこそ「頑張らなくても」、「努力しなくても」生きていけると思い込んでいるのだ。

そう思い込んでるがゆえに働くために自分の知識を増やそうとも、より良い生活のために「日本経済をよくしよう」とも考えていない。税金が高くなることに不満を言い、公務員の給与が高い事に不満を言い、労働者の権利を声高らかに叫ぶくせに、自分の家の前の道路が税金で管理、舗装されたことも、その公務員のおかげで国が維持されていることも、自分以外の労働者が苦労していることも理解しようともしない。考えようともしない。


だが、GDPで日本を抜いた中国は違う。つい最近まで「努力していた日本」の貧乏さで合った。だからこそ各人は「生きる為」、「金を稼ぐため」に働く必要があった。そして現在もその必要を感じている人々がいるがゆえにがむしゃらに働き続けている人たちがいる。

「働かなくても生きていける」と思い込んでいる人たちと、「働かなければ餓死する」と思い込んでいる人たちには働く意欲が違うことは明らかになる。そして、後者はより働けるように常に勉強を続けている。


現在の日本は「働きたくない人」がいるのが問題なだけではない。「働こうとする人たちの足を引っ張る人」達がいるのがさらに問題になる。自分が働きたくないが故に、いわゆるサービス残業をしてでも自分の仕事をこなしたい人や、自分の知識を付けたい人、経験したい人達が頑張っているのが邪魔になり、それを阻止したいがゆえに「労働環境の改善」を叫び、働く意欲のある人々の邪魔をする。

日本人は中国を馬鹿にしている気配を感じる部分があるが、日本人より中国人の方が頑張っているのだ。頑張っているがゆえに金持ちも年率15%の勢いで増加しており、2009年度で投資可能資産が1000万元(約1億5000万円)以上所持している中国人は30万人を越え、さらにそれらの80%が45歳以下の若い世代となっている。

日本にも若い世代にこれ以上の資産を持っている人々はいるが、頑張っている人に比例してその数は少ない。

日本は現在第三位のGDPを持っているが、一人あたりのGDPに換算すると第四位、五位、六位のドイツ、フランス、イギリスよりも劣っている。

「金持ちになる必要はない」、「生きていければそれでいい」と言う人もいるかもしれないが、それは「円の価値」が現在もこれからも維持されることが前提となっており、日本の経済成長が下がり続け他国に抜かれ、これからも日本国債を発行し続けることがあれば円の価値は下がり、他国通貨に取って代わられる。
そうなれば現在のように「バイト生活で欲しい物を買う」ことや、「適当に働いていても生きていける」ということはなくなってしまう。自分の知識を高めようとしないが故にこんなことも理解していないのだ。日本は既に内需で賄う事はできないのだ。


GDPの話が数値を出しやすく長くなったが、日本人の「働く」と言う意識の欠如も大きく感じている。

私の生まれは借金もあり貧乏であった。以前も書いたが、親父は50を超えてもバイトをして私達家族を養ってくれた。今の50を超えて解雇でもされたおじさんたちはバイトをすることを戸惑うようだが、親父は30年間も自営業と別にバイトをして養ってくれたのだ。

そのような環境で生まれ育ってきたので私は働くことに「働かせて頂く」、「働かせて貰える」と言う意識を持っている。だが現代の若い世代にそう思っている人たちは少ないように感じる。「楽に働ければいい」、「俺が働いてやる」と言う意識すら感じられる。
そのように思っているが故に、辞める時にも何の通知も無しに職場に行かなくなったり、LINEで退職願いを届ける時代になってきているのかと思う。


何度も書くが、現在は職に溢れている。働こうと思い働けないことはない。働けない理由は「自分の知識」が足りないからだ。お前の知識が足りないが故に働ける場所がないのだ。

「出来る人は環境に文句を言わない」と言うがまさにその通りだ。環境に文句を要っている人たちは自分が仕事ができないがゆえに自分の問題を環境の責任にし、自分の労働力を棚に上げ権利を叫ぶ。

どのような環境であったとしても自分に与えられた環境で生きるしか無いのだ。環境を変えたければ不平不満を言っていても仕方がない。何も変わらない。環境を変えたければ変える努力をしろ。


政治が悪い?

消費税増税は不当?


ならお前が政治家になれよ。それを決めた政治家たちはお前たちが遊んでいる間に勉強をし続けて政治家になった人たちだ。


変えたいなら努力をしろ。変えたいなら変えろ。不平不満を言っても何も変わらない。


どのような環境も、お前が今まで生きてきた結果そうなったのだ。10年後に同じことを言っていたくなければ今この瞬間から勉強をしろ。



またタイトルとは関係ない話題になってしまった。また別の記事に書こうと思う。

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