ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

運動の目的

以前に「運動をしない人は仕事もできない」を書いた。

そしてもちろん私はその記事の通り現在も運動を続けている。ランニングとダンベルでのウエイトトレーニングだ。日頃から10キロ近くのリュックを背負って1時間歩いているので、ジムなどに行くよりも常日頃から運動量を増やしているという感じであろうか。

そんな私に「そのやり方じゃ筋肉つかないよ」、「その走り方じゃしんどいよ」と声をかけていただくことがある。それが善意であるので私は謹んでご助言を頂き候。

金哲彦のランニング・メソッド

金哲彦のランニング・メソッド


確かに私のやり方がまずく、私のトレーニング方法では怪我や関節を痛める結果になるというのであればそれらは聞き従うべきである。だが残念ながら私のランニング、ウエイトトレーニングの目的は筋肉をつけることでも長距離を走ることでもない。

私の目的は「運動」と「辛いことをやる」ということである。

例えば私はランニングの際に意図的に足を大きく上に上げる。長距離を走るのであればこれは無駄な力を使うことになるだろう。長距離を走るのであれば足は極力地面から離さないようにしたほうが良い。その方が運動量が少なく疲労が少ないからだ。

だが先に書いたように私の目的は「運動」であるので、意図的に運動量が大きくなるようにしている。例えば1時間走るのと2時間走るのとで同じ運動量で他に違いがないというのであれば、私は運動の時間を短くしたいので前者を選ぶ。そのために足を上げているのだ。ランナーであれば後者を選ぶだろう。

そしてこれはもう一つの目的である「辛いことをやる」ということにもつながる。ランニングを趣味としてハーフやフルマラソンに参加するという方であれば、いかに楽にいかに速く走るかと言うのが問題になる。だが私はコレを目的としていない。

運動を目的としているので辛ければ辛いほどよいのだ。だからこそ負荷が上がるような走り方で負荷のある道を選び走っているのだ。これも同じ1時間走るにしても、その中でいかにしんどくなれるかというのが問題だ。走った距離はどうでも良い。だからこそ向かい風を走り、30分程度走ってもまだ楽であったら途中でダッシュを入れつつ走る。

ランナーであれば軽くてクッション性のある靴やウェアにこだわるかもしれないが、私からすればそのようなものはさして問題ではない。冬は寒いほうがいいし、夏は暑いほうが良い。そうすれば必然的にランニングがどんどん辛くなっていく。その辛さの中に自ら飛び込んでいくのだ。



本当にそのような助言を頂くことはありがたい。だが、ダイエット目的に走る人、運動不足の解消に歩く人、ランニングのトレーニングに走る人、筋力トレーニングに走る人、辛いことをするために走る人、会社から走るように言われている人。十人十色の目的がある。そのことは理解しておかないといけない。

私は今日も走ってきたが、若い女が二人で走っているのを見た。一人はウエアを着こみクラブ活動のトレーニングだろうか。だがもう一人はコートを着、鞄を持ち、さして運動向きではない靴で並走していた。

そんな人に「そんなウエアでは走りづらいだろう」と言っても無駄なことは理解できるだろう。たまたまランニングに付き合っただけかも知れないし、急に走りたくなってしまったのかも知れない。とにかく人には色々な理由がある。



とにかく私は辛いことをする。自ら進んで辛い道に行くのだ。

若いうちの苦労は買ってでもしろ。コレに限る。