日本語は縦書
私は日本語で文章を書くときは縦書で書く。日本語は本来縦書であったし、日本語の文字も縦書で組むことを前提に作られている。そしてもちろんそのために文字を書くときは縦に書くほうが書きやすい。そのために私は自然と縦書をするようになった。
日本語を読むとき、新聞や新書、文庫、漫画、単行本にしても多くの場合に縦書だ。オライリーなどの技術書はプログラミング言語などを例示する必要があるために横書きとなっているが、これが非常に読みづらい。新書でも数学や化学、物理学系の本の中には横書きのものがあるが、横書きであるだけでここまで読みづらいのかと思ってしまう。
確かに現在のこの日本国では日本語を横書きするというのも認められている。公文書でも左始まりの横書きが認められるようになってから多くの書類が横書きで作られるように成り、現在ではそれが標準になっているようだ。確かに日本の文化を大事にしていそうなデパートから来る挨拶状も、印刷されているものは横書きが雛形となっている。手書きのハガキは縦書で書かれていたのが救いだろうか。
確かにコンピュータで書類を印刷するときは横書きのほうが都合が良かった。現在のインクジェットやレーザーのようにイメージ印刷が始まるまではグリフ単位でそれを印刷していたわけなので、1行づつ横に印刷するほうが都合がよく、欧米の横書きシステムを改変するだけで良かった。
だが考えて欲しい。このまま日本語が横書きで埋もれしまってもいいのだろうか。
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注意して欲しいので先に言っておきたいことがある。私は「日本語は古来から縦書であったので縦書が良い」と言っているのではない。この点注意して欲しい。あくまでも「読みやすい」から縦書であってほしいのだ。歴史が長いほうが良いというのであれば、日本語に置いても句読点は認められない。句読点は日本語の歴史からすれば日が浅いし、そもそも曖昧さが大きい。
日本語で文章を作る人の多くは現在ではコンピュータを使っているだろう。そうであれば実際に手で書かないので横書きだろうと縦書だろうと関係ない。大して長い文章も書かないのでそれを読み直す手間も少ないだろう。
例えば先に上げたように日本で一番読まれているであろう新聞は縦書だ。日本語は横書きだろうが縦書だろうが割付の自由度が非常に高いため、新聞を見ればその多様性が理解できるだろう。それ以外の書籍についても大半が縦書だ。先に上げたようなコンピュータ関連などの書籍は数式や英文字が多いため、それらのレイアウトのために横書きにされているのだろう)小説やSFの翻訳本も縦書が多いことを見ても、「英語圏の文章だから横書き」と言うわけではないのがわかる)。
だが先に上げたようにそれらの書籍は非常に読みづらい。普段からコンピュータ関係の書籍しか読まないのであればその読みづらさに気が付かないかも知れない。椅子に座り、机に書籍を広げ、ゆったりと読むのであれば横書きでも違和感は少ないかも知れない。
だが例えば、電車の中などの狭い空間、立ちながら本を読めばその不便さに気がつけるだろう。
横書きの場合、一行毎に左ページであれば行末が、右ページであれば行頭が閉じ部分にあるため、一行を読むには本を完全に開いて読まなければならない。狭い空間や立ちながらであれば、本や頭を動かして読まなければならないだろう。
だが縦書は違う。閉じ部分にあるのは右ページならページ終わり、左ページであればページの始まりだけだ。2ページを読む間の四分の一程度を開いた状態にしなければならないが、開くのはその間だけでいい。その間だけ開いていればいいので、本を大きく開いて折り畳めば特に違和感なく読める(ハードカバーは出来ないが)。
「本を読む」という行為に対してこの利便性は捨てがたいだろう。KindleやiPadと言われる読書端末にしても、縦横自由に配置できるにも関わらず、その基本は縦書になる。青空文庫のリーダにしても、その多くが縦書である。このような事情からしても、まだ日本に置いては縦書の需要が大きいことは想像に難しくない。
「英語に習って横書きにすべき」、「雛形の統一のために横書きにすべき」と言う方がいるが、そう思うのであればなぜ「日本語」でそれを書く必要があるのであろうか。「利便性が高い」と言うのであれば「縦書」や「横書」にこだわるのではなく、「英語」か「中国語」にすべきだろう。英語は実質的な世界標準語になろうし、母国語とされている人口が最も多いのが中国語だ。利便性を求めるのであれば、高々1億3000万の人口しか使っておらず、更に今後は人口が減る国の言語などにこだわる必要がない。
そもそも日本語の公用語を英語にしたほうが今後の利便性は高く、国内企業の海外進出においても将来的にプラスになる。もっといえば、日本国自体をアメリカか中国に編入させたほうが利便性があるのではないだろうか。「横書き」が良いというのであれば、そんな文字の並びの利便性だけではなく、今後この国の、子孫の利便性を考えた方が良いのではないか。
ここまでは主に「読む」について書いてきたが、先に書いたように日本語を「書く」ことについても書いておく。
「あいうえお」とひらがなでもいいし、「日本語万歳」でもいいので実際に横書と縦書で書いて欲しい。横書きに慣れていると気が付かないかも知れないが、日本語は縦書をするように作られている文字だ。基本的には左上から右下にかけて文字を書きそれを下の文字に繋げる。
これを横書きにする場合、一文字毎に書き出しの位地を上にづらさなければならない。細かな動作だが、その細かさ故に疲れる。これも最近は横書きが普及してきたために慣れの問題になるが、少しでも書きやすいほうが良いのは確かだろう。最近では日本語の行書や楷書を書く人が少ないが、それらを書けば英語の筆記体と同じく「縦書に作られている」と言うことが体験できるだろう。
英語(筆記体)を考えると基本的には右から左につなげていく。それ故に英語は横書きに向いた言語であり、そもそも筆記体は縦書にすることは出来ない。そして例えブロック体であったとしても、縦に並べただけではそれは非常に読みづらい。これは「そもそもそう作られていないから」と理解してもらえるだろう。これが理解できれば逆の立場で日本語について考えて欲しい。
ということで、日本語は縦書のほうが書きやすいし読みやすい。であれば日本語は縦書をして縦書で読もうではないか。わざわざ外国の文化に合わせて考えることもなかろう。
残念なことにこのブログは現在は横書きだ。縦書にしようとは思っているもののまだテンプレートを作っていない。だがそのうち縦書にしようかと思う。そうすればスマートフォンやPCなんかでも縦書で読めることのアピールになるだろう。
また少し関係ないが付け足しておく。私は以前にこんな質問を受けたことがある。
昔の日本語はなぜ右から左への横書きなのか
この質問を聞いた時はよく意味がわからなかった。だが実際にどういうものか書いてもらうと理解できた。
おえういあ
のような文字の並びのことだ。これを現在の子どもから見ると「右から左の横書き」と感じるようだ。確かに「右から左への縦書」を知らないのであればそう感じるかも知れない。
だがこれは決して横書きではない。縦書だ。意味がわからない方もいるだろうか。
これは「一文字単位で改行されている縦書」であるのだ。簡単には一行二十列の横に細長い原稿用紙を想像して欲しい。そうすればこの意味がわかるだろう。一文字単位で改行しているためにそう見えるのだ。
これも歴とした縦書の日本語だ。そしてコレを見ても日本語の自由度というのがわかるだろう。こんな素晴らしい言語を使わない手はない。