求めるべき自由とは
世間では広く自由が求められ、自由こそが平和の象徴とさえされている。
だが本当に自由は求める求めるべきなのか。自由は平和につながるのかと考えなければならない。
自由な人生を手に入れる教科書: お金・時間・場所 あらゆる束縛がなくなる
- 作者: 濱田大輔
- 出版社/メーカー: 株式会社GRASP
- 発売日: 2015/04/02
- メディア: Kindle版
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アメリカは自由の国だという
本当に自由なら、スーパーに入ってて チーズに小便ひっかけろ
xXxより
この文をどう思うだろうか。
だがこれが本当の自由ではないか。どこに入っていく自由もあるし、どこで小便をする自由もある。
それらを制限することは「自由の制限」そのものだ。
自分の財産権を侵害されているかと思うかも知れないが、「権利」そのものは自由を制限するために作られた仕組みでしかない。
自己の所有物を明確にする事は、他の人間がそれを使えるなくすることを意味する。それは他人がそれを使う自由をうばうことで成り立つシステムそのものである。
さらに考えると、本当の自由とは「人を殺す自由」、「殺される自由」、「生きる自由」、「死ぬ自由」、全て自由として存在する。
「生き続ける自由」と言うものはない。それは「生きる自由」が持続した結果であり、「殺す自由」が自分に向けられなかった結果でしか無い。「健康に生き続ける権利」とは「殺される自由」、「殺す自由」を封じ、その自由を制限することでしか生み出されない。
最近ではテロや原発問題が騒がれているが、これも自由から考えると「テロを起こす自由」や「原発を作る自由」も歓迎すべきことになる。もちろん「核兵器を使う自由」も存在する。それを制限することは許されるものではない。
これが本当の自由の考え方と言うものだ。
最近の「自由が欲しい」と言っている人たちは、「自分の権利は守られた上で、自分の権利のみを拡張したい」と言うものだろう。
自由とはそれだけでは成り立たないものだ。求めるべき自由とは、制限の範囲内で自由にそれを選択するという程度の物だろう。
ぜひ一度「自由」とは何かを考え、それを本当に求めるべきなのか考えなければならない。
そうしなければ自由など手に入らないし、自由を感じることも出来ないだろう。