ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

「伝統」と言う建前

昼に「伝統は大切なのか?捕鯨は必要なのか?」と言う記事を書いたが、記事が長くなったので書かなかった部分がある。だが、その部分も私の考えの中で重要かと思うので改めて書くことにする。

まず前出でも触れているが、「なぜ伝統が大事なのか」と言う事を考えていただきたい。

単に「伝統が大事」だと口を動かしているだけの人たちにはその解はないかと思う。前出の通り、伝統とは過去に始まり現在まで続けられてきただけのことであり、今現在始めたことも伝統に成りうるのだ。

この二つを考えた時に、現在までは有用であったが明日に不要になるものとこれから必要になるものではどちらが社会に有意義であり、どちらを守っていかなければならないかは明らかかと思う。

これは医療で例えるとわかりやすい。日本の伝統的な疾病の治療に祈祷があるが、今現在に病気の治療に神社に祈祷にお願いに行く人がどれだけの人がいるだろうか?100万の祈祷と、100万の西洋医術における手術、どちらを選ぶのであろうか。

日本の伝統 (知恵の森文庫)

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私は神社や寺に不要論を唱えているわけではなく、ましてや仏教や神道を信仰していないわけではない。前出の通り逆にそれぞれを心から敬い信仰している。

だがしかし、それらの伝統を意地でも守っていく必要があるのかというとそれはおかしな話である。確かに日本では法的にも火葬が定められており、葬式仏教とと比喩される程に「葬式にしか仏教を気に掛けない」と言う文化が浸透している。その仏教でさえも釈迦の時代から時代に合わせて変化してきた結果が現在の葬式仏教なのだ。

少し仏教について掘り下げるが、そもそも仏教には葬式というものはない。葬式という文化が出来たのは鎌倉仏教からと言われており、奈良仏教には葬式はない。代表的な奈良仏教(南都六宗)の寺院としては東大寺があるが、東大寺では葬儀を執り行わず、墓も無い事は一度行けば目に入るかと思う。
そもそも奈良仏教自体も釈迦仏教とは大きく変化し、釈迦は死後の世界は無いとし、さらに偶像崇拝をするべきではないとしている。だがしかし、釈迦の死後に崇拝の対象として釈迦の遺骨を各々が持ち帰りそれを崇拝することから現在に置けるまで時代に合わせて仏教の形は変化してきた。
戒名というのも仏教がビジネスとして進化してきた賜であり、そもそもの仏教からは全く関係が無いことは知っておいていただきたい。

このように宗教ですら時代に合わせて変化してきている。キリスト教にしても時代に合わせて「進化論」が受け入れられるなど変化してきている。


これが私が思うところの伝統、文化だ。時代に合わせてその様式を変化させ、柔軟に対応しなければ未来に繋げることは不可能である。伝統行事と言われている祭りなんかにしても、宗教的な理で会ったにも関わらず、現代に置いては無宗教者、非信仰者の娯楽の一部に成り下がっている。だがしかし、出店を許し、道路を利用し、広告し、形式を変化させることで現在まで続けることが出来ているのはその理由からである。


だがしかし、先にも書いた時代に合わない伝統というのは変化に耐えることが出来ず淘汰されてしまう。日本には世界で最多の古企業があるとのことだが、その伝統的な企業も現在も倒産を続けている。世界最古の会社、金剛組ですらも1400年間世間の需要の変化に合わせてきたからこそ現在までその会社が存在し得たわけで、その変化に順応出来なかった会社は無くなっているのだ。
その金剛組ですら2005年には経営破綻し高松コンストラクショングループの子会社に移行した。これも時代に合わせた変化と言える。

伝統を守るべきであればこられの老舗企業も全て守るべき対象なのであろうか。


最近では橋本大阪市長文楽補助金を廃止するという事で議論になっていたが(橋下 文楽 補助金)、このように伝統を保護するには税金を投入するしかなくなる。伝統を守るために税金を投入しなければならないのであれば、消費税増税を加速させるしか無い。日本には創業100年以上の会社が10万社、200年以上の会社が3000社あるとするが、それらの会社を保護し、寺院や神社、芸能、文化等、種だねの伝統を保護するには莫大な税金が必要になる。

「この伝統は必要だが、この伝統は守る必要がない」と言う方々も出てくるかもしれないが、それは何故決めることが出来るのか。伝統に優先順位があるのであろうか?もし優先順位があるとするならば、それこそが自然淘汰される伝統と生き残る伝統の違いではないだろうか。

近代にしてもレコードからカセットテープ、CD、MP3販売と音楽の販売形式が変化してきている。レコードが伝統だからといってレコードの製造業者を保護する必要があるのか?カメラも銀塩からデジタルにほぼ完全移行となっているが、銀塩カメラを作り続けてきた企業を保護する必要があるのか?時代を見越し、先手を打ち、デジタルカメラの開発をした会社が生き残り、銀塩に執着した会社が倒産をしているのではないのか。

歴史とは競争であり、競争に負け、弾かれたものから淘汰されていく。それで十分ではないだろうか。
これは生物の歴史も同じだ。新しい生物が誕生し、淘汰されたものが絶滅していく。人間が自然界を引っ掻き回し、不自然な生態系を創り上げたとしてもそれが地球の人間を含めた生態系の変化なのである。


税金を投入する必要があるほど必要性が国民から支持されているものであれば、税金を投入するまでもなく支持者がその伝統を守り続けていけるはずである。「文楽を守る必要がある」と言っている方々が全ての講演に参加すればその売り上げだけで維持していけるはずである。



伝統を大事だと言っている方々はぜひサービス残業をし、不平を言わず、がむしゃらにただただ働いて欲しい。勤勉に企業戦士として働くことが日本の伝統であったはずだ。

能楽は伝統芸能ではない! ?現代に活用し未来を創造する心の栄養素

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<伝統>とは何か (ちくま新書)

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