ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

「生」と「死」の取り扱い説明書 苫米地 英人(著)

タイトルを見ると毎度の苫米地の胡散臭さがにじみ出ているが、毎度のように中身は至極まともな内容になる。

いや、「まとも」ではなく「すばらしい」。

「生」と「死」の取り扱い説明書

「生」と「死」の取り扱い説明書


私も「死」については今までに考えたことがある。もちろんまだ死ねていないので実際のところはわからないが「死」とはなんなのだろうか。

もちろん「死」の直前までは苦しみにあふれているかも知れない。病気ならそれに苦しみ、ケガであれば死の直前までその痛みを感じているだろう。

だが「死」とはその苦しみから開放されることではないだろうか。確かに残す家族ややり残したことへの心残りはあるかもしれない。だがそれは恐怖でなく「心配」であるはずだ。

例えば睡眠中に死ねば、いつも体験している「睡眠」と何も変わらないのではないだろうか。いつもの「睡眠」から目が覚めず、それが永遠の眠りへと変わるだけのはずだ。「死」とはその日頃の睡眠の延長ではないだろうか。そう考えると「死」に恐怖を感じるというのは、「睡眠」に恐怖を感じるのと同じことではないだろうか。

釈迦も四苦として「生・老・病・死」を上げ、「生まれてくること、生きること」自体も苦しみとした。死ぬことも苦しみであることにほかならないが、生きるという苦しみから開放されるという意味では「死」は歓迎するものではないだろうか。

私が持っている「死生観」とはこのようなものだ。



本書は苫米地の書籍ということも有り、脳科学や仏教的な面から書かれたものかと思い手に取ったがまさにそうであった。主には仏教的な思想で「死」について書かれているが、主には「説明書」ではなく仏教的な「死とは」ということがかかれている。

内容としては、

P2.
本書は、「死の恐怖」との向き合い方、克服法について考えていきます。一体「死の恐怖」とは何なのでしょうか。私たちは、恐怖を感じようにも死ねば意識そのものがなくなるわかっているのに、なぜ、死に対して怯えるのでしょうか。

となる。

死について考えるきっかけになる書籍であり、死について恐怖を抱いている人が読めば恐怖が和らぐものであると思う。

知識ゼロからの仏教入門 (幻冬舎実用書 芽がでるシリーズ)

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ブッダのことば―スッタニパータ (岩波文庫)

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