ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

アメリカ人の半分はニューヨークの場所を知らない 町山 智浩(著)

ふざけた内容に思われるかも知れないが内容は至極まとも、アメリカ人批判とも言えるような本当のアメリカ人の姿が描かれている。

内容は本当のアメリカ人の姿となるためにキリスト教をベースとしたところが多く、その中にはキリスト教福音派を酷く挑発している内容もあるためその宗派の人が読むには少々度胸がいるかも知れない。それがアメリカではなく日本で出版されているという理由であるだろう。

本書はタイトルはわずか一章の内容になり、本書の大半はブッシュ政権や、その背景のキリスト教福音派、政治の裏舞台という内容になる。日本人は日本の政治家を「悪者」とするが、本書を読めば日本の政治家がいかに優秀(いいこちゃん)なものであるかわかるであろう。アメリカの政治は特定の個人により支配されているという事が理解できる書籍だ。


私は神道と仏教の双方のいいとこ取りを信仰しているが、その他の宗教を批判するつもりはない。キリスト教も他の宗教もその個人個人が信じているものを批判する権利が他人の誰にあろうかと思っている。そもそも日本は信教の自由がある国だ。

宗教とは、信じたい人が信じたいように信じるものであり、それを周りがとやかく言うものではない。



例えばキリスト教福音派の中の過激派やキリスト教原理主義の方々の中にはかなり過激な人たちがいるのもたしかだが、神道や仏教を信仰している方の中にも過激派と呼ばれる方はいる。これはキリスト教に限った話ではないということは本書を読む前に前提として置かなければならない。

日本人は特に「宗教」というものにたいして拒否反応をする方が多いようだが、その方々の批判は中途半端なものばかりに成り、そもそもに宗教というものがわかっていない方が多い。例えばキリスト教を批判するのに聖書を、仏教を批判するのに仏典、歴史を、神道を批判するのにそれが何かすらわかっていない。なにかわかっていないものを批判する人間ほどバカなことはないだろう。

これはいわゆる科学信仰というものになるが、結局同じで、それらを信仰する人の多くは科学が何かすらもわかっていない。例えば「科学が全て」とするのであれば、現代科学では「生命」を定義できない。それゆえに、人をいくら殺そうが科学的な意味で原子としては何も変化しないが、科学信仰の人でも根拠もなくそれは「いけない」ことだという。このように中途半端な人たちだ。

これは科学の最先端技術国家であるアメリカの技術者の中にもキリスト教信仰者が多いということすらも理解していないということであろう。



少々宗教の話が長くなったが、本書はそれ程に過激なキリスト教批判とも取れる内容が書かれているために宗教について正しい知識を持って読まなければ勘違いしてしまうかと思う。その勘違いしてしまう人こそ、本書の内容を聞きかじった知識で世間にキリスト教批判の風評を流してしまうだろう。

このような風評が流れることは私としても望まないので、本書を読む前には是非とも宗教について学んだ上で読んで欲しい。そうして読めば、それぞれの宗教について考えるきっかけにもなる良い書籍かと思う。