ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

電子辞書は使うな

いやぁ便利だ。電子辞書は便利。超便利。

だが学ぼうと思うのであれば電子辞書を使ってはいけない。電子辞書は答えを知るのには非常に便利だが、答え以外の何も教えてくれない。これは小学生に電卓を使わせるのと同じだ。

電卓が便利なことに異論を唱えるものはいないだろう。だが幼少期から電卓を使うと、電卓のない場面では全く計算ができなくなってしまう。例えばお釣りの計算や、電車賃の計算も出来ないまま育ってしまう。

計算が出来るように成り時間の削減のために電卓を使うのであればいいが、そもそもその計算がわからないままに電卓を使わせればコレは大袈裟でなくなる。コンピュータユーザの多くがコンピュータのしくみを理解していないのと同じだ。その結果だけを与えられれば、その途中を飛ばしてしまい、それが当たり前となってしまうのだ。

小学館・全文全訳古語辞典

小学館・全文全訳古語辞典


これは電子辞書でも同じことである。本当に電子辞書は便利だ。実際に私も電子辞書を持ち歩いて利用している。Ex-wordのXD-ST9200と言う機種で、今調べると中古で5000円程度で買えたりもする。定価は5万円を超えていたと思うが、10年ほどの間に1/10の価格になってしまった。

本機でも英和や和英だけでなく英英も入っており、さらに大辞泉と漢字源、カタカナ語辞典も入っている。それが中古で5000円とは紙の辞書を買うよりも安いだろう。紙の辞書であれば中古でもこれ以上の価格はする。

安くて便利なら使わない手がないと思うかも知れない。



だが先の電卓の例に書いたように、電子辞書を使うのは本当にそれを調べるという時に置いては便利だが、辞書を使って学ぶことが出来ない。例えば電子辞書で調べるときは「調べる」というよりも「答えを見る」と言う方が正しい。辞書を引くように文字をおうのではなく、文字を入力し、引く作業を省略し、答えを出す。電卓の宣伝であったまさに「答え一発」と言う使い方だ。

これであれば確かに答えを瞬時に知ることはできるが、答え以外の事は知ることが出来ない。辞書を何のために使うのか。答えを知るだけであればこれで良いかも知れないが、学ぶためであればこれでは意味がない。

紙の辞書であれば一つの単語を引いている間にも何百という単語を目にする。その単語が知っているもであれば無視するかも知れないが、知らない単語であればパッと意味を見るだろう。そしてそれも記憶される。そして目的の単語を引いたとしても、その次の単語や前の単語なども知り、他の用法などがあればそれも同時に知ることが出来る。途中に興味の引いたものがあればその意味もついでに調べるだろう。

こうして辞書は周辺の単語も拾いながら使うのだ。辞書を読んでも面白いが、わざわざ読まなくても普段から辞書を使えば意図して調べなかった単語を多く知る機会がある。だが電子辞書であればこのような使い方はされない。とにかく答えだけを表示させる。入力される機会のなかった単語はその辞書に載っていなくても良かった単語だろう。

「電子辞書でも周辺の単語を見ることが出来る」と言う人もいるがそれは誤りだ。「見ることが出来る」ことと「実際に見る」事は違う。電子辞書ユーザの方は見ることは出来たとしても見ようとしないだろう。だが紙の辞書は目に入り、実際に見ているのだ。見たくなくとも、目的の単語に到達するには見ないことは出来ない。見なければ辞書は引けないのだ。



確かに電子辞書は便利で万能である。一つの小さな筐体に多数の辞書が収録されている。私の電子辞書にも15近くの辞書や辞典が収録されている。私は主に英英と漢字源、大辞泉を使うが、一度入力すればそれぞれの辞書でマッチした単語が次々と表示される。これを実際の辞書でするには、全ての辞書で単語をひかなければならない。

だが実際にはそのようなことはしないだろう。英英を調べる時に英和辞典の結果は望まないし、ましてやコンピュータ用語など求めてもいない。逆に意味を知りたい時に日本語を入力して和英を引きたいとは思わないだろう。一覧に表示されるのが鬱陶しいので、私は電子辞書でも辞書を指定して検索する。

電子辞書で実際に便利な機能は、辞書をまたいでのジャンプだろう。大辞泉で引いた単語の漢字の意味を知るために漢字源に移動するようなときはスーパージャンプと言う機能が重宝する。これを紙の辞書でやると机の上が辞書だらけになる。

だが逆に電子辞書はそのように二つの辞書を並べたり、複数の単語の意味を交互に見比べるのには向かない。一つの単語を調べた時に、その意味にわからない単語があればそれをひきと、次々に単語を引く時があるが、その際に電子辞書なら履歴としては残るが二つの意味を交互に見ながら比較するのには非常に不便だ。

二つや三つであれば履歴のジャンプ機能でどうにかかなるが、五個位になるとかなり手間になるし、複数の辞書を使って一つの単語の意味を調べながら漢字源でそれぞれの漢字を調べるというような使い方に至っては電子辞書はかなり不便になる。実質的にはそれはできず、一つづつ調べるほかない。



そしてどれだけ最新の電子辞書でも、全ての辞書が収録されているわけではない。例えば今手元に小学館の「全訳古語例解辞典」があるが、これを収録している電子辞書は今の所見たことがない。そして、古語辞典も複数出ているが、これが複数収録されている電子辞書はないだろう。

大辞泉広辞苑かのように、ほとんどの電子辞書がそのどちらかしか収録されていない。メーカにより辞書の選択はかなり偏りがある。ということは、複数の辞典(辞書)から同じ単語を拾えないということだ。辞典も辞書も結局は出版社の人間が勝手に意味をつけているだけなので、出版社によって全く意味が異なるものもある。一つの辞書だけを使うということは、一つの出版社に思想をコントロールされるということだ。例えば「南京大虐殺」や「天安門事件」と言う単語を複数の辞書で引くとその説明の違いは大きい。

このように複数の辞書を使って引くには複数台の電子辞書を使うか紙の辞書を使うしか無い。そしてこの用途であれば紙の辞書が便利だろう。

そもそも電子辞書はその「筐体」で完結しているため、追加辞書はあるものの基本的には辞書単位での買い替えは出来ない。私の電子辞書の漢字源はJIS第二水準までしか収録がされていないが、最近の電子辞書は第四水準まで対応している。だが辞書の交換が出来ないので、第四水準までに対応したいのであれば電子辞書自体を買い換えなければならない。

大辞泉ロングマンの英英辞典がそのままのバージョンで良くても筐体単位で買い換えなければならない。この機種も追加辞書機能として「DATA PLUS2」と言うSDカードに対応しているが、そもそも現在はすでに規格が変わっている。10年経過せずして規格がいくつか変わっているのだ。であれば当時に追加辞書を買っていても現在の機種では使えないということだ。

紙の辞書であれば必要な辞書は追加で購入し、更新が必要なもののみ買い換えればいい。だが電子辞書では本体を買い換える度に同じ辞書に買い換えることになり、同じ辞書を買い換えるためにお金を払わなければならない。無駄だろう。

紙の辞書を使わずに電子辞書のみを使ってきた人からすれば「紙の辞書」自体を「老害だのなんだの」で引こうとすることに抵抗があるかも知れない。そうすればその電子辞書に収録されているもの以外の辞書の内容を知ろうともしないことにつながるだろう。

これは自ら枠の中の知識以外を求めようとしないことと同じだろう。



実際に図書館でも学生は全て電子辞書だ。分厚い辞書を引きながら調べ物をしているジジイも見ることは少ない。電子辞書を使うことは悪くないが、学生の時は知識を増やすためにぜひ紙の辞書を使って欲しい。電子辞書は答え以外は全く必要のない、勉強に時間をかけない社会人が使うべきものだ。

出先では電子辞書を使うのもいいかも知れない。私も辞書を持ち歩くのは嵩張るのでそうしている。だが自宅では辞書を使い調べ、辞書を読み様々な知識をつけてほしい。

もし紙の辞書の魅力がわからないのであれば、100円均一ででも国語辞典を買って読んで欲しい。その中にでも知らない単語ばかりだろう。

電子辞書を使うと、それらの単語が入っているにも関わらず、それらを知れないままいることになってしまう。



日本語を学ぶには辞書を読むのが一番だ。