ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

本当に頭大丈夫かよ

先日に「アホなんじゃねーかな」を書いた。結果はまぁご承知のとおりだ。

だがマジで頭がおかしい連中が要るんだなとまた気付かされた。頭が悪いのではなく、頭がおかしい。どう考えたらそうなるのかが本当にわからない。

「後藤さんを殺したイスラム国よりも、それを止めることが出来なかった安倍さんに怒りを感じます」

脳みそいかれてんじゃねーの。

 

桶川ストーカー殺人事件―遺言 (新潮文庫)

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でっちあげ (新潮文庫)

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脳みそがイカれるという表現は実際には正しくないだろう。何らかの洗脳だか思い込みだか、そもそもこれもまた「自惚れた思考」、「人によく思われたいがための行動」だかはわからないが、とにかく常軌を逸した考えだろう。

これがなぜかSNSなんかで広まっている。広めた本人は「こんな頭のおかしい人間がいますよ」と面白がっているのか、それとも本当に頭のイカれた人間がそこまで多いのかはわからない。だがかなり多くの人に見られているにも関わらずコレに対する批判が見つからなかった。

世間の連中は「"いいね"しとかないと後でぐちぐち言われる」と考えているのか、「とりあえず当たり障りの無いように"いいね"しとこう」と考えているのかわからないが、すくなくとも「いいね」とした全ての人間は「その考えを広めた」という理由から加害者には間違いない。

コレが加害者になるという理由がわからない方は「突然、僕は殺人犯にされた -ネット中傷被害を受けた10年間」を読んでほしい。あなた多くの人を実際に殺してきた理由がわかるだろう。

この記事を読んでいるあなたはこの考えのヤバさがわからないのだろうか?

この考えは簡単に言えば「殺人者よりもそれを止められなかった警察が悪い」、「殺人者を野放しにしている警察が殺人者よりも悪い」、「実際に人を殺すよりもそれを止められないことのほうが罪が重い」と全く同じことだ。

「どれだけ無差別殺人を行おうと、それを止めることの出来ない人間が悪い」とは、どのように思考したらそのように考えられるのか私には本当に心から全く理解が出来ない。今後も理解不可能だろう。「出来ない」ではなく「不可能」だ。

これならどんな罪よりも警察が憎まれることになるだろう。

強盗被害にあおうと、車盗難にあおうと、車に轢かれようと、レイプされようと、子どもが誘拐されようと、全てはその犯人よりもそれを止めることが出来なかった警察が憎まれるのだろう。

であればそれに「いいね」をした人間どもは、それらの被害にあおうと犯人を追求しようとはしないのか。犯人に罪を償わせようとするよりも、それを止めることの出来なかった警察を訴えるのか。

確かに警察に明らかな非があるのであれば警察「も」一緒に訴える場合があるが、それは犯人の罪と合わせて、その犯人を取り押さえることの出来なかった警察の対応について改めさせるために行う行為だ。

だがこれが逆転し、警察の方が罪が重いというのがこの考えだ。殺人犯は「その人を殺すべき理由があった」と情状酌量でもされるのであろうか。「同じくらい怒りを感じる」ではなく「安倍総理の方が怒りを感じる」のだ。

これは前に書いた「ちょっとアホすぎやしませんか」と同じような人間だろう。全く根拠も思考も知識も持ち合わせていないのに、自分が褒められたくて、注目を浴びたくて思考がひん曲がってしまっているのだ。

思考がひん曲がっていることで出来る行動によって人に褒められ注目を浴びることができるので、それについてきちんと考えるということが出来ない、いや、しようとしないのだ。

もしきちんと考えたとすればその間違いに気がつき、その誤りに気がついてしまったらその賞賛は終わってしまう。そして何よりも今までの自分の行動が全てマイナスになってしまう。

宗教にハマってしまうのもコレと同じ原理だ。

考えを改めてしまうとそれまでに自分が払ってきたお金、とってきた行動、時間が全て無駄になる。それを無駄にしないためには今後もそれを信じ続ける必要がある。それを信じ続けなければそれまでに迷惑をかけた人間たちに申し訳がたたない。

コレがどれだけ危ないことかというのも当人は理解できないのだ。悲しいことだ。

こういう人間を相手にしなければならない仕事とは大変なものだ。