ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

モレスキン 「伝説のノート」活用術 堀 正岳(著), 中牟田 洋子(著)

これは面白い。読み進めるに連れて笑いがこみ上げてくる。こんなに笑えるノート術の本は初めて読んだし、今後もなかなか現れないかと思う。こんなに矛盾だらけの書籍も珍しい。

本書は「モレスキン」の紹介書籍のように思って購入した。そもそもに私はモレスキンが好きではないため、その魅力がわかればと思い購入したまでになる。

だが本書を読み進めるに連れてさらにモレスキンが好きではなくなっていく。モレスキンが好きと言っている人は盲目的にそれを愛し、一種の宗教のようになっているのではないかと感じるほどになる。

モレスキンは紙質がいいというが国産のほうがよっぽどいい紙が揃っている。モレスキンの紙は薄手な上に弱く裏抜けがかなり大きい。キャンパスノートのスタンダードでも裏抜けしないようなペンや万年筆でもモレスキンでは裏抜けしてしまう。
それ程に品質の悪い紙にも関わらず他の紙を試すわけでもなく「モレスキンが至高」と信じ切ってしまっているのだ。いい紙というのはLIFEノートのようなもので、キャンパスノートでもハイグレードシリーズがサイズは少ないが用意されている。何かを褒めるのであれば他も把握した上で比較しなければ意味がない。

紙質の悪さは本書内や冒頭にある絵を書いている人たちの状況を見ればわかるかと思う。水彩絵の具を使っているためか紙がたわみ目も当てられない状態となっている。この状態で書いているのであれば、前後数ページは書き込みができない状態になってしまっているであろう。

そもそもに本書では「頭脳の一部としてのノート」としてモレスキンを紹介しているのだが、モレスキンの紹介の多くは「魅せるためのノート」として使われているように感じられてならない。モレスキンなんかに水彩で絵を書くことのバカバカしさを無視し、「モレスキンで発想力が掻き立てられる」と宣伝しているつもりになっているのだ。

モレスキンの紹介として「歴史上の偉人も使っていた」と言うのが決まり文句になっているが、当時は現在のように量産技術や流通方法がなかったため手許で手に入るノートの中でましな物を使っていたという以外に理由はないかと思う。モレスキンで無くてはダメで、モレスキンで想像力が掻き立てられ、モレスキン以外のノートは使わない、と言う様な言葉が残されていいるわけではなく、単に「モレスキンを使っていた」と言うだけだ。


利用していたものをそう解釈できるのであれば、学生の大半や経理、数学者、科学者、弁護士、裁判官、現在の天才として扱われているさまざまな人はコクヨのノートを利用している。コクヨのノートこそ現代における最高のクリエイティブなノートだ。と、言っているのと変わらない。
コクヨのノートは品質がよく、値段も安く、日本一流通意しているために使われているに他ならない。こだわりを持っている人たちはさらにキャンパスハイグレードやLIFEのノートを利用している。その程度のことだ。

モレスキン 「伝説のノート」活用術?記録・発想・個性を刺激する75の使い方

モレスキン 「伝説のノート」活用術?記録・発想・個性を刺激する75の使い方


前書きがながくなったが本書はそれ程に面白い。本当に笑える。何かを主張したかと思えばその3行後ろくらいにはその主張が反転し矛盾が生じまくっている。それ程に盲目的にモレスキンを愛しているのかと思うと暖かく応援したくなってしまうほどだ。

モレスキンをこれから使ってみようと思っている人には本書をぜひ読まないでほしい。本書を読むとモレスキンを嫌いになる可能性が非常に高いと感じる。本書に書かれていることは「モレスキン活用法」ではなく「ノート活用法」だ。モレスキンでなくてよく、そもそもモレスキンでないほうが都合がいいことが多々紹介されている。本書を読めばきっと、「モレスキンじゃなくていい」と言う感想を持つはずだ。読まないほうがいい。


特に楽しめたのは「モレスキンは決まったフォーマットがない」ことをモレスキンの魅力としてあげている点だ。キャンパスノートなど多くのノートにはタイトル欄や日付欄があるので、それによって「自由度が無くなる」と言う主張があるようだ。

モレスキンユーザは自らのクリエイティブさゆえ、そのフォーマットの為に創造性がかき消されてしまうとのこと。それは残念だ。フォーマットが嫌いなら罫線ノートではなくて無地のノートを使うべきだ。本書の紹介は多々罫線ノートを紹介している。
そもそもにキャンパスノートでも日付欄やヘッダ欄があるのは罫線ノートのみで、無地ノートには一切の罫線がない。比較対象が間違っている。そりゃあ罫線が引かれているノートを対象に出して「罫線が邪魔」というのはお門違いだ。それを選んでいるのは自分である。

このフォーマットがあることが邪魔になる。と、言う事を主張しているにも関わらず、本書の大半にわたり紹介されているのがモレスキンのフォーマットの作り方だ。ページ数が多かったり、数が増えれば参照しづらいがゆえにフォーマット化して使わなければ使いづらいらしい。
フォーマットがなくて使いづらい場合は「ダイアリー」等を使うことを薦めている。あれ?フォーマットがあることがダメなのじゃなかったのか?そもそもモレスキンは数々のフォーマット済みノートを販売しているぞ?

これについてはバカバカしくてコメントしづらい。読者諸氏それぞれで感想を考えてほしい。


また、ノートの大きさが定形で「今後も同じノートを使っていける安心感」があるというが、モレスキンは独自サイズのノートがあり安心感はない。A6やA5の様な国際規格であれば将来的にも同じサイズが使える期待があるが、モレスキンは新商品の発売と廃盤を繰り返しており全く持って将来にもわたり供給される保証がない。著者はどうして現実に目を向けないのか。

P28に「ポケットサイズでも192ページという膨大なページ数は、1日に数ページ書いたとしても数ヶ月持ちます」と言う記載があるが、なんというか著者は自分の主張に対して計算もしないだろうか。「数ページ」と言うのは具体的な数字は難しいが、これを仮に4ページだとする。そうすると48日間と、数ヶ月どころか2ヶ月も持たない。
モレスキンのページ数は膨大だというが192ページは決して「膨大」ではない。キャンパスノートは利用の利便性から40枚程度の物が多いが、100枚ノートもありモレスキンよりもページ数の多いノートは販売されている。ページ数が多いのが魅力であれば他のノートでも全く問題ないのだ。


他にもモレスキンGTDをさせようとか色々と笑える点ある。だがこのまま書き続けるとモレスキンノートのページ数が埋まるほどは書けるかも知れないのでこのへんで辞めておく。是非とも本書を読み楽しんでほしい。

冒頭に私は「モレスキンが好きではない」と書いたが、本書をよみそれが誤解であることに気付いた。「モレスキン」が好きではないのではなくて、「モレスキンユーザ」が好きではないのだ。ノートに悪気はない。使い道にさえ合えばキャンパスノートでもモレスキンでも問題はない。
それを押し付けようとする「モレスキンユーザ」が悪いのだ。


本書はエンターテイメントとしてお勧めしたい。

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

MOLESKINE モレスキン ルールドノートブック・横罫・ラージ ([文具])

MOLESKINE モレスキン スクエアードノートブック・方眼・ラージ ([文具])

MOLESKINE モレスキン スクエアードノートブック・方眼・ラージ ([文具])

MOLESKINE モレスキン 2014年 マンスリーノートブック / ソフトカバー / 黒 / ポケット

MOLESKINE モレスキン 2014年 マンスリーノートブック / ソフトカバー / 黒 / ポケット

MOLESKINE モレスキン 2014年 スケジュール+ノート / ソフトカバー / 黒 / ラージ

MOLESKINE モレスキン 2014年 スケジュール+ノート / ソフトカバー / 黒 / ラージ