ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

考えるヒト 養老 孟司(著)

やはり養老 孟司は面白い。かなりの数の書籍を出しているので全てを読むのは難しいが、これから養老孟司の本を読んでいこう。やはり頭のいい人間の出している本は単発ではなくて大多数が面白い。単発で売れた書籍は数を重ねるごとに内容が薄くなっていくが、養老孟司は全てが面白い。

今まで著者を決め打ちでは齋藤孝苫米地英人の書籍を読んでいるが、これからは養老孟司も増やそう。この3人はすんばらしい。

考えるヒト (ちくまプリマーブックス)

考えるヒト (ちくまプリマーブックス)


本書はタイトルのように「考える」ことについて、ようするには「脳」について書かれた書籍だ。その脳について「心はどこにあるのか」という様なよくある議題から、普段はあまり考えるようなことがない部分まで、それが順序立てて書かれている。

脳について書かれている書籍になるため、冒頭は「脳死」についてからはじまり、それがどのような問題でどのような議論があるかということから始まっている。ライトに読める内容にもなるため、今まで「脳」についてあまり考えたことのない方には是非とも読んでほしい。

脳だけではなくそれから科学や医の倫理などにも踏入り、他の書籍でも面白い養老孟司だが、本業である医学の話になるとその面白さは増す。

このブログを読んでいるのもあなたの脳であるし、私がこう書いて本書を読もうと思ったのも、読もうと思わなかったのもあなたではなく「あなたの脳」が判断したことだ。あなたの「脳」があなたの行動を決めている、あなたは脳自身なのだ。そんな脳のことを少しも知らないというのは、自分自身を結局は知らないことであるし、他人を理解することも理解できないだろう。人を理解するというのも、他人、ようするに「他人の脳」を理解するということだ。



養老孟司の書籍は今までにも何冊か読みその面白さに興味を持っていたが、本書を読み先に書いたように著者の書籍を読んでいこうと思えた。その決定打はコレだ。

P37-39.

科学の与える回答は、ただ無限に正解に近づくかも知れないということであり、これが正解だというものではない。最後の答えが出ないのだから、考える必要がないということにはならない。それはどうせ汚れるのだから、掃除の必要がないというのに似ている。うちの娘は、部屋を汚していて、掃除しろというと、どうせ汚れるからしないという。そういう時に私は、どうせ死ぬんだから、いま死ね、といい返すことにしている。

いやぁ素晴らしい。これを批判する人間も要るかも知れないが、これが通用する家庭だろうと私は思う。私も親に死ね死ね言う人間であるので、そういった家庭があるということは身を持って理解している。こういうコミュニケーションが笑いを生んでいる家庭というものもあるのだ。

これは極論だと言われるかも知れないが、例を変えてもこれは通じる。「食べてもどうせまたお腹が空くのだから食べるな」、「稼いでも使うのだから稼ぐな」、「風呂に入っても汚れるのだから入るな」。本当に数々の例題を出せるだろう。だがその例題は認めず、自分の都合のいいことばかり言う人間は要る。

これは著者の家庭の一例を出しただけで私のようにそこに非常に興味を持つ人間はいないかも知れないが、私はそのように著者が面白ければ書籍の内容も結局面白いので気にいる。どれだけ有用な書籍であったとしても無味乾燥で事実だけを記載されていてもそれはよくわからないものだ。このように著者の体験や例を持って書いてもらうことで理解が助かるし、養老孟司はこのような例を多く書く作家でもある。

わかりやすくて面白い。今後の読書が楽しみだ。