ゴミ箱の中のメモ帳

まだ見ぬ息子たちへ綴る手記

フランクリン自伝 フランクリン(著), 松本 慎一(翻訳), 西川 正身(翻訳)

いやぁ素晴らしい。フランクリンのように生きたい。誠実とはまさにこの人のことだろう。

本書に限らずフランクリンの自伝には後期30年の歴史が残されていないのが残念でならない。この30年がベンジャミン・フランクリンが最も有名な活躍をしたと言える年ではないだろうか。アメリカ独立宣言書の草案などを起草したのもまさにこの時代だ。だが自伝を書き終えることなく亡くなってしまった。フランクリン自体も最初は息子へ歴史を繋ぐことを期待して書き始めたようだが、途中からは自伝として書かれているために歴史順に書かれ、そのために後半30年が残されていないということだ。

本書の他にも自伝はいくつか出版されているが、どれもフランクリンが残したものを翻訳したものと、その他のフランクリンが出版したものを翻訳としてセットしたものになっている。

なので今後販売が予定されている「ベンジャミン・フランクリン自伝」にしても同じような内容になるだろう。どうしても200年以上経過した現在からでは新しい原稿は見つかりづらい。

だが翻訳者によっては言葉の選びが全く違い、さらにはフランクリンへの解釈からその翻訳も全く違うこともある。よって翻訳者が違うものもいくつか読めば新しい発見もある。

フランクリン自伝 (岩波文庫)

フランクリン自伝 (岩波文庫)


私はフランクリンの自伝を読む前に「筋を通せば道は開ける」を読み、その考えの概要を知り、その素晴らしさからフランクリンの自伝を購入して読んだ。「筋を通せば道は開ける」も何度も読んでいるが、フランクリン自伝も同じように何度も読み、その行動を身につけなければならないだろう。

読み物として読むのではなく、フランクリンの行動を考え、それを見本に自身が行動していくことが大事だと思わせてくれる書籍だ。自己啓発書ではなく、一人の人間の行動を知ることでそれを見本に出来るというのはなんとも素晴らしいことだろう。



先に「人を動かす」を読んだが、その内容を地で実践していたのがこのフランクリンになるだろう。そしてカーネギーはフランクリンの自伝もその研究の内容にもちろん入れ込んでいたのではないだろうか。それ程にエピソードが似ているところがある。



本書は自伝になるためフランクリン個人の行動や考えの記録になり、要は日記のようなものになるが、それ自体が目的にしうるべき価値があるほどのものになる。やはり偉人というのはそれうる人であるということだろう。

だが結局は日記ということなので、本書の注釈から間違いの指摘もあるように、本人が自分で言っているだけ、ということも理解しておいてもいいと思う。人にいいように思われるように書いている可能性もあるが、それは嘘であろうが本当であろうが、本書に書かれているフランクリンは紛れもなく誠実な人間としての人生だ。

フィクションであれなんであれ、自分が理想と思ったものを見習わない手はない。それが嘘だのなんだのと批判してそれを見習わないのは、それを見習うための努力をしたくないと言う人間の行動である。



さぁ、書を捨て街に出よう。

フランクリン自伝 (岩波文庫)

フランクリン自伝 (岩波文庫)

フランクリン自伝

フランクリン自伝

マザー! (字幕版)

マザー! (字幕版)